西国十番 三室戸寺|『源氏物語』にも登場 京の花の寺 本山修験宗別格本山/京都府宇治市

旅行・観光

11月に入り、そろそろ紅葉の季節。まだ青葉のところが多く、見ごろまでにはなっていないようです。

それでも、京都観光オフィシャルサイトから開花状況を見て、一部見ごろを探し、三室戸寺にやってきました。

紅葉だより|京都観光オフィシャルサイト – 京都観光Naviw

行った日:2019年11月2日(土)

明星山 三室戸寺

アジサイをはじめとして、ツツジ、ハスなど、四季折々に花が咲くことから「花の寺」として知られる三室戸寺は、創建は奈良時代(770年)光仁天皇(こうじんてんのう)の勅命(ちょくめい)によって創建。本尊は、千手観世音菩薩。『源氏物語』の「宇治十帖」にも登場する。光仁天皇は、毎夜、金色の光が宮中に射し込むのを見て、その正体を確かめるべく、右少弁犬養に命じた。犬養が光のもとをたどって宇治川の支流・志津川へ行くと、一枚のハスが流れてきて、それが観音像になった。その観音菩薩を祀って創建したのが、三室戸寺の起こりだと伝えられています。

三室戸寺の本堂は、1814年に再建されたもので、重層の入母屋造。ここに先の観音菩薩が納められているが、秘伝のため非公開。お前立ちとして二譬の「先手観音」が祀られています。

室町末期に織田信長に焼き討ちにされるが、江戸末期に再興。現在では紫陽花で有名な寺院となり、また境内には昭和の「小堀遠州」と称えられた中根金作(なかね きんさく)によって、平成元年(1898)に作庭された日本庭園があります。

明星山三室戸寺は西国観音霊場10番の札所で、本山修験宗の別格本山です。

住所:京都府宇治市莵道滋賀谷21

アクセス:京阪三室戸駅より 1.0㎞(徒歩15分)
JR宇治駅より 2.0㎞
京阪宇治駅より 1.5㎞
※車の場合、駐車場有り(500円)

拝観料:500円

まずは、受付前の門の入り口。

山門

山門をくぐると左手に「薬師如来」。まずは参拝。

階段

階段を上がって本堂に向かいます。

階段を上った左手に手水舎で清めます。『不動水』

狛蛇(宇賀神)

右手には、『宇賀神』。

耳をさわれば福がくる、髭を撫でると健康長寿、しっぽをさすれば金運がつく

さっそく、耳をさわり、髭を撫で、しっぷぽをさすってみました。

狛牛・狛兎に続く「狛蛇」ともいえる像で巳年には人気が出たそうです。 財運・金運の蛇神で、頭は老翁、体は蛇で蓮に乗る姿をとっています。宇賀神を撫でると、財運(金運)・良運がつくといわれています。

宇賀神手前にありました。比叡山にも大黒堂右手に「摩尼車(まにしゃ)」というものがありました。
この車を回すと願い事がかなうと言われているということでしたが、おそらく同じだと思われます。

本堂(江戸時代・府文化財)

7月ごろには、本堂前の『蓮園』には250鉢の色とりどりの蓮が咲くそうです。

狛兎

本堂前に狛牛と対面して兎が安置されています。
狛兎は、御影石製で、高さ150cm、幅90cmの巨大なものです。兎は、幅60cmの大きな玉を抱いていますが、玉の中に卵型の石があり、それが立てば願いが通じると云われています。

勝運祈願の宝勝牛(牛玉)

本堂前に石で造られた大きな牛の像が狛犬のように鎮座しています。

牛の口の中にある玉をさわると勝運がつくと伝えられています

三室戸寺に観音詣でをしていた富右衛門というお百姓が飼っていた弱々しい牛が、観音様のご利益で立派な牛になり、 地域一番の権兵衛の牛に戦い勝ち、その時に得た報奨金をもとに、牛の仲買人として成功したという故事によるそうです。
この宝勝牛がくわえている牛玉の観音様に触れると、勝運に恵まれるといいます。

運勝祈願の手形 横綱 貴乃花・若乃花

若乃花関は平成10年の春場所直前に絵馬を奉納し、見事優勝を成し遂げたということです。

実際、手の大きさを比べてみました。若乃花関の方はあまり大きさは変わりませんでした。

 

 

阿弥陀堂(江戸時代・府文化財)

親鸞の父日野有範の墓だと伝えられています。 寺伝では親鸞の娘覚信尼が祖父の有範の墓上に阿弥陀堂を建てて菩提を忌ったと伝えています。



鐘楼(江戸時代・府文化財)

三重塔(江戸時代・府文化財)

「変転を経て現在地に収まった塔」として、その代表格とも言えるのが、三室戸寺の三重塔です。

三重塔は江戸期の作ですが、この塔はかつて、播磨国(はりまのくに)(兵庫県佐用郡三日月町)の高蔵寺(こうぞうじ)に立っていた。高蔵寺は725(神亀2)年の創建とされていますが、近世に三日月藩主・森家の菩提寺となった後、初代藩主の森長俊が1704(元禄17)年に、この塔を建立しました。

しかし、明治維新後に藩主が領地を去り、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の波に直撃されるようになると、高蔵寺も例に漏れず資金難に直面。苦境を脱するために、三重塔も売却されることとなった。それを買い受けたのが、三室戸寺であったとのことです。

浮舟の古蹟

源氏物語宇治十帖内の『浮舟』の古蹟。もとは浮舟社という社であったが、江戸時代石碑に改められた。

芭蕉の句碑

山吹や宇治の焙炉の匂ふとき

納経所

売店内

御朱印を授かりました。

 

十八神社本殿(室町時代・重要文化財)

十八神社本殿には、改装中のためか入ることができませんでした。

三室戸庭園「与楽苑」

池泉回遊式庭園と石庭

作庭家・中根金作により平成元年竣工。「与楽苑」は石庭と池泉庭園で構成され、「与楽苑」の奥には枯山水の「モミジ園」が控える。

まだ紅葉は、色づきはじめたところのようです。

池泉庭園を東屋から撮影。

本山修験宗(ほんざんしゅげんしゅう) とは?

日本の修験道の中心寺院の1つである聖護院を総本山とする宗派で天台寺門宗から1957年に独立して設立した宗派です。

古代神道とも言うべき山岳信仰(民俗宗教)に仏教の行脚や道教の入山修行などが影響し、奈良時代になると山にこもって修行する人たちが増えました。平安時代になると修行者はさらに増え、密教系の人も山岳修行をしました。天台宗寺門派の開祖円珍はその代表的な僧侶です。

平安時代の末期になると、修験道は密教や道教、陰陽道の要素をも含み独特のものとして完成します。
聖地は紀州の熊野、葛城、大和の金峯山(きんぷせん)が中心です。熊野を中心として活動した天台系グループを本山派といい、金峯山を中心に活動した真言系グループを当山派といいます。現在は、本山派は聖護院を中心として本山修験宗に、当山派は醍醐寺を中心として真言宗醍醐派になりました。これに天台系の金峯山、修験本宗を加えた三派が修験の主流となります。修験とは行して迷いを除き、徳をあらわす」から来ています。修験者は山に伏して修行するところから山伏とも呼ばれます。

京都の歴史と文化を学び、今すぐ旅に出よう!

三室戸寺のご本尊である千手観世音菩薩を祀ってみませんか。 
仏像フィギュアのイスムWEB通販ショップ≪仏像ワールド≫



%d人のブロガーが「いいね」をつけました。
タイトルとURLをコピーしました