通年無料の京都御所をのんびりと参観| かつての天皇の生活ぶりを拝見!

旅行・観光

京都御所は、かつては事前の申し込みがなければ参観できませんでした。一般公開は春と秋の数日間のみと短く、観光客が殺到していました。しかし、2016年7月26日から事前申し込み不要の通年公開を実施していました。今日たまたま京都御所に立ち寄ったら通年公開していることがわかりました。
休止日は、月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月28日から1月4日)、行事等の実施のため、支障のある日となっています。
行った日:2019年10月13日(日)

京都御所

京都御所は、明治維新まで天皇のお住まい(古くは内裏という)であり、桓武天皇が奈良の平城京より長岡京(京都府)を経て、延暦13年(794)に平安京に都を移されたのが始まりです。
平安京は南北約5.2㎞、東西約4.5㎞の方形で、中央の朱雀大路(現在の千本通り)により左京と右京に分けられ、大小の道で碁盤の目のように区画されました。平安京の大内裏(国家的儀式を行う施設や様々な役所があった区画)の中ほどに内裏があった。内裏は火災に遭うと、貴族の邸宅などが一時的に仮の内裏とされた。これを里内裏といいます。
現在の京都御所の場所は土御門東洞院殿といわれた里内裏の一つで、元弘元年(1331)に光厳天皇がここで即位をされた以降、明治2年(1869)に明治天皇が東京に移られるまでの約500年間、天皇のお住まいとして使用された。この間も幾度となく火災に遭い、その都度再建が行われ、当初は現在の敷地の半分以下であったが、豊臣秀吉や徳川幕府による造営により敷地は次第に拡張されました。

建築様式や全体構成は時代と共に変化をしていったが、天明8年(1788)の焼失による再建時には、江戸幕府の老中松平定信を総奉行とし、有職故実家の裏松固禅(光世)らの考証により、平安の古制に則った紫宸殿や清涼殿、その他の御殿が寛政2年(1790)に建造された。しかし、この内裏も嘉永7年(1854)に焼失し、翌安政2年(1855)には寛政時の内裏がほぼそのままの形で再建された。これが現在の京都御所である。この御所は、孝明天皇及び明治天皇の日々のご生活や数々の宮中の年中行事に加え、幕末期の王政復古の大号令、小御所会議、五箇条の御誓文の発布、明治・大正・昭和の天皇の即位の礼が行われた歴史的な舞台となった場所でもある。
現在の京都御所は築地塀に囲まれた南北約450m、東西約250mの方形で、面積は約11万㎡である。敷地内では、古代以来の日本宮殿建築の歴史と文化が見られると同時に、回遊式庭園の御池庭、献上の石や灯籠を配した御内庭など、木々や花など季節の変化も楽しめるものとなっている。

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京都御所見学

今出川御門から入った

今出川の交差点を今出川通り沿いに歩き、今出川御門から入りました。
桂宮邸跡がありました。

朔平門(さくへいもん)(北面)

朔平門付近の庭です。松もきれいですね。

 

 

皇后門(西面の北寄り)

清所門(西面の真ん中)

清所門から京都御所内に入れます。清所門には警備のため警察官が立っています。

門を入ってすぐのところで、手荷物検査があります。
鞄などの中身を確認する程度のチェックです。

無事、手荷物検査が済むと『京都御所入門証』が渡され、首から掛けます。

宜秋門(西面の南寄り)

御車寄(おくるまよせ)

高位の貴族などが、参内した際に儀式や天皇との対面のため使用した玄関です。諸大夫の間や清涼殿、小御所等と廊下でつながっています。

諸大夫の間

正式な御用で参内した公家や将軍家の使者の控えの間である。身分の応じて部屋が決まっており、建物に向かって右に行くほど身分が高く、「虎の間」「鶴の間」「桜の間」と襖の絵にちなんで呼ばれています。畳緑の色の違いや部屋への入り方にも身分の違いが反映されており、虎の間・鶴の間を使用する者は正式な玄関である御車寄から参入するが、桜の間を使用する者については、建物の左にある沓脱石から参入した。

桜の間」畳のふちが赤色

 

鶴の間

虎の間

新御車寄

大正4年(1915)、大正天皇の即位の礼が紫宸殿で行われるのに際し、馬車による行幸に対応する玄関として新設されたものである。天皇が御所の南面から出入りされた伝統を踏まえて南向きに建てられています。

月華門

建礼門(南面)

京都御所の南向きにある正門。かつては即位の礼など紫宸殿で行われる重要な儀式のときに開かれた。現在は、天皇陛下及び国賓が来られた際にのみ使用される格式の高い門である。

承明門

承明門から「紫宸殿」が見えます。

 

承明門の右側から紫宸殿南庭の一角に入れます。

紫宸殿

京都御所において最も格式の高い正殿であり、即位の礼などの重要な儀式がここで行われた。この建物は安政2年(1855)の造営であるが、伝統的な儀式を行うため平安時代の建築様式にて建てられている。慶応4年(1868)の「五箇条の御誓文」発布の舞台ともなり、明治、大正、昭和、三代の天皇の即位の礼はこの建物内で執り行われた。回廊に囲まれた白砂の庭を「南庭(だんてい)」といい、即位の礼の際はこの庭に旗などが並び、殿上には皇族・諸大臣・外国使臣などが参列した。紫宸殿上から見て左側に「左近の桜」、右側に「右近の橘」が配されている。

 

建春門(東面の南寄り)

日華門

日華門左脇に檜皮葺が展示されていました。

 

春興殿

東廂 (ひさし) の北端は内竪 (ないじゅ) 所内候の武具の置場であった。室町時代からは神鏡の奉安所となり賢所 (かしこどころ) といった。現在、京都御所にある春興殿は 1915年大正天皇即位の大礼のために造営されたものである。

小御所

鎌倉時代以降建てられるようになった御殿で、江戸時代は将軍や大名などの武家との対面や儀式の場として使用された。明治維新の際には、将軍に対する処置を定めた「小御所会議」が行われたことでも有名である。上段・中段・下段の間3室のまわりに広い板敷(廂)が付き、様々な儀式に対応できる実用的な建物であった。現在の建物は昭和29年(1954)に焼失したため、同33年(1958)に復元された。

御学問所

慶長18年(1613)に清涼殿から独立した御殿で、御読書始や和歌の会などが行われた。慶応3年(1867)、この建物で明治天皇が親王・諸臣を引見され、「王政復古の大号令」を発せらてた。上段・中段・下段の間を6室からなる総畳敷の建物である。

小御所と御学問所の間に『蹴鞠の庭』がある。

御池庭

池を中心とした回遊式庭園。右手に「欅橋(けやきばし)」が架かる。前面は州浜で、その中に舟着への飛石を置いている。

 

 

御常御殿

清涼殿内に設けられるようになっていた常御所が、天正18年(1590)に建物として独立したものである。天皇のお住まいであるとともに、南側に上段・中段・下段の間を備えて儀式や対面の場としても使われた。内部は、神器を納める剣璽(けんじ)の間や天皇が寝室として使用された御寝の間など15室からなり、すべて畳敷きになっている。

 

 

御内庭

曲折した遣り水を流して、所々に土橋や石橋を架け、灯籠や庭石を配した風雅な御庭である。

 

 

 

御三間

「御三間」は、上段、中段、下段の三間よりなる建物で南と西に御縁座敷があります。
ここでは涅槃会(ねはんえ)、茅輪、七夕や盂蘭盆(うらぼん)などの内向きの行事が行われました。

 

清涼殿

平安時代中期(10世紀頃)から、天皇の日常のお住まいとして定着した御殿であり、政事・祭事などの重要な儀式もここで行われた。天正18年(1590)に、御常御殿にお住まいが移ってからは、主に儀式の際に使用された。この建物は安政2年(1855)の造営であるが、伝統的な儀式が行われるように平安時代中期の建築様式が用いられた建物となっている。
中央の畳を敷いた部分が「昼御座(ひるおまし)」といい、天皇のご日常の御座である。

残念ながら、清涼殿は、参観はできませんでした。

京都御苑

京都御苑は、環境省が管理している国民公園です。かつては公家や宮家の邸宅が立ち並ぶ町でした。その後、東京遷都に伴って他の公家同様東京へと移り、戦後は、庭園が残るのみとなり、国民公園として位置づけられ、御所と一体となった景観を維持しつつ、散策や休養等の場として親しまれています。

京都御苑側から見る建礼門

建礼門の後ろに「紫宸殿」の屋根が見えますね。

 

九条邸跡

九条家は藤原氏一族のひとつで鎌倉時代の公卿・九条兼実を祖としている。他の近衛家、二条家、一条家、鷹司家とともに五摂家のひとつで多くの摂政や関白を輩出し、長年に渡って天皇家に娘を嫁がせているため天皇家との結びつきが強い。

橋から九条邸跡が見られます。

九條池と拾翠亭(しゅうすいてい)

拾翠亭は五摂家のひとつであった九條家の現存する唯一の建物です。

風流ですね!緑色の池が映えます。

厳島神社

厳島神社と聞くと、広島県宮島を思い浮かべる人が多いでしょう。
京都御苑内にも厳島神社があったのです。かつての九條邸内の鎮守社だそうです。

丸太町通りに面した堺町御門より京都御苑を出ました。

京都の歴史・文化を学び、いますぐ旅に出よう!


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