臨済宗|禅問答のなかで悟りを見つける

仏教

臨済宗といえば禅宗の一派ですね。とんち問答で有名な一休さんも臨済宗の僧ですね。臨済宗の寺は、鎌倉時代から室町時代には幕府ともつながりを持ち、隆盛を極めました。

臨済宗とは

宗祖/栄西(えいさい)

日本伝来/1191年

主な経典/とくにないが『金剛般若経』『坐禅和讃』が読まれる

おとなえ/南無釈迦牟尼仏

本尊/特定のものはないが、釈迦如来、薬師如来など

大本山/妙心寺(京都市)、建長寺(鎌倉市)など

特徴/人はみんな仏性をもっており、それに気づけば悟りが開ける。経典や本尊から悟りの境地を見出すのではなく、坐禅と公案によって自分自身のなかから答えを導き出そうとする。

 

仏教界を救うのは禅

姿勢を正し、座った状態で精神統一することを「坐禅」といいます。古代インドに起源があり、お釈迦様が悟りを開いた時も座禅の状態でした。こうしたことから座禅は悟りを開くための基本姿勢と考え、修行のなかでも特に重視する仏教宗派があります。それが禅宗です。禅宗は6世紀頃の中国で達磨大使を中心に発展していき、唐の時代に禅宗五家という5つの宗派に分かれました。そのなかのひとつが臨済宗となります。つまり臨済宗も日本の完全オリジナルというわけではありません。

臨済宗を日本に伝えたのは、鎌倉時代の『栄西という僧です。栄西は14歳で比叡山に登って天台教学や密教を学び、28歳で中国の宋に留学した。目的は中国天台宗を学ぶため。最澄が開いた日本の天台宗は、時代の流れとともに政治闘争の道具と化しており、それを立て直すためには基盤となった中国天台宗を身につける必要があると考えたのです。

1168年に宋に入った栄西は、当時中国で流行していた禅宗に出会います。一度は天台教学の典籍を授かって帰国するが、日本の仏教界を立て直すには精神修行に重点を置く禅宗を学ぶべきだと考え直し、1187年にふたたび入宋。禅の起源があるインドへ渡航を願い出るも宋政府から許可されず、天台山万年寺の虚庵懐敞(こあんえじょう)を禅の師と仰いで門弟となった。その4年後、虚庵懐敞から臨済宗の法を受け継いで、帰国。九州を拠点に布教活動を始め、博多に日本最初の禅寺となる聖福寺を建立した。

悟りの答えは自己にある

 栄西が日本に伝えた臨済宗は現在15派に分かれており、妙心寺派なら妙心寺、建仁寺派なら建仁寺と、それぞれに本山があります。日常的に『金剛般若経』『坐禅和讃』を読む習慣はあるが、拠り所とする根本経典は存在しない。これは禅宗の流れを汲む宗派の特徴です。

経典は、お釈迦様の教えが書かれたもの。禅宗では坐禅を組んでお釈迦様の悟りを追体験することを重視するため、悟りを開くための言葉を求めないのです。中国臨済宗の開祖である臨済義玄は「経典の勉強をしても役に立たない」とまで言っています。
相手がお釈迦様だろうと他者に答えを求めず、自分で答えを導き出すことに意義があるとしています。

また、臨済宗には、特定の本尊すら存在しないという異色の特徴を持ちます。必要でないと言っているわけではなく、人間はみんな生まれた時から仏性(仏の性質)をもっており、別に偶像崇拝にこだわらないとしています。もっといえば、法を説く住職が生きた本尊であり、お釈迦様になり代わるものと考えているわけです。

臨済宗の修行法は坐禅が基本だが、その最中に師が弟子に対して「公案」という名の問答を投げかける。有名なのが次の問題です。「両手を打ち合わせると音が鳴る。それでは片手だとどんな音がするか答えよ」。このように理屈や知識では解けない問題が公案で、その数は1700問ほどあるとされています。公案の答えは悟りの境地と同じで、言葉で説明できるものではない。

坐禅と作務(日常生活)をくり返すうちに自然と見つかり、それらに答えることで段階的に悟りが開かれていくという。ちなみに禅問答で有名な一休宋純も臨済宗の僧です。

臨済宗のおもな宗派は天竜寺派,相国寺派,建仁寺派,南禅寺派,妙心寺派,建長寺派,東福寺派,大徳寺派,円覚寺派,永源寺派,方広寺派,国泰寺派,仏通寺派,向嶽寺派の 14寺派を数え,妙心寺派が最も大きい。末寺は合わせて六千余寺。

 

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