曹洞宗|何も求めずひたすら坐禅を続ける

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曹洞宗も禅宗の一派ですね。坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚することにあります。

曹洞宗とは

宗祖/道元(どうげん)

日本伝来/1227年

主な経典/とくにないが『法華経』『般若心経』が読まれる

おとなえ/南無釈迦牟尼仏

本尊/釈迦如来

大本山/永平寺(福井県)、總持寺(神奈川県)

特徴/臨済宗と同じく禅宗五家の一派。何も考えず、黙々と坐禅を行う「只管打坐(しかんたざ)が修行。只管打坐は、ただひたすらに坐るということです。悟りを求める修行は打算的なものとして否定し、悟りを求めないことが悟りにつながると説く。

 

身心脱落の境地を得る

曹洞宗は臨済宗と同じく、中国の禅宗五家に含まれる禅宗のひとつです。それを日本に伝えたのは道元です。

道元は、14歳で出家して比叡山に登り、天台教学や密教を学びました。当時の天台宗では、すべての人間は生まれながらに仏性を備えており、最初から悟りを開いているという「本覚思想」が流行していました。それならどうして人間は修行をしなければならないのかと疑問を抱いていた道元は、比叡山を下りて臨済宗栄西の弟子の明全に弟子入りします。

ここで禅宗にふれた道元は、それをもっと深く学びたいと思い立ち、1223年、宋へ留学します。そして曹洞宗の僧、如浄に弟子入りして禅を学びます。ある日の坐禅修行中、如浄が居眠りをしていた僧に対して「眠りこけていては身心脱落の境地に達せないぞ」と叱りつけた。身心脱落とは、坐禅を続けることで身も心もあらゆる束縛から解き放たれて自由になることです。その脱教をそばで聞いていた道元は、身心脱落の境地を得たのだ。それがきっかけとなって、如浄から曹洞宗の印可(教えを受け継いだ証拠)を受けました。道元は宋から経典を一冊も持ち帰らなかったが、この身心脱落の境地こそ、あらゆる経典に勝る収穫だったのです。

1227年頃には帰国した道元は越前に大佛寺を建立し、そこを修行の場としました。大佛寺はのちに永平寺という寺号に改められ、ここが日本における曹洞宗の本山となりました。

悟りを求めないのが悟り

曹洞宗は臨済宗と同じく、拠り所としている根本経典が存在しません。しかし本尊は釈迦如来とされているところが多い。礼拝の対象というわけではなく、悟りを開いた先輩として敬っているのです。

主な修行法はやはり坐禅だが、臨済宗とは座り方が異なります。臨済宗は壁を背にして坐禅を組むが、曹洞宗では壁に向かって坐禅を組みます。そして臨済宗の坐禅が問答しながら行う「公案禅」なのに対し、曹洞宗では黙ってひたすらに坐禅に打ち込む「黙照禅」(もくしょうぜん)です。曹洞宗ではこれを「只管打坐」といいます。道元が宋で見つけた身心脱落の境地は、この只管打坐に集約されます。臨済宗のように悟りとは何かを考えるのではなく、何も考えずにただ坐禅を続けるのみ。功徳や利益を求めず、さらには悟りすら求めないのです。

いうまでもなく、仏教とは悟りを開いてブッダになることを目的とする宗教です。それなのに悟りを求めないというのは、かなり異例の宗派といえます。だからといって、悟りを不要と断言しているわけでもありません。

悟りを求めるためにする修行は打算的なものになる。それで得られる悟りはしょせん、打算的な悟りであって真の悟りとはいえない。また、修行が悟りを得るためのものだとすれば、悟りを得た後は修行の必要もないということになってしまう。それなら悟りにこだわらず、下心をもたずに修行したほうが清々しく生きられる。つまり悟りを求めない修行自体が悟りなのだ、と道元は説いたのです。

悟りを求めない行為が修行なので、日常生活も修行ということになる。道元は文字ばかりが経文ではなく、日常生活を取り巻く雨や風、鳥の鳴き声すらも経文と同じで、それらのなかにも仏を感じ取ることが出来るといっています。これが曹洞宗における仏の道、悟りの道なのです。

 

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