仏教の総合大学!天台宗総本山 比叡山延暦寺

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2019年8月16日(金)台風10号が過ぎ去った日に比叡山延暦寺に行ってきました。
比叡山延暦寺は多くの名僧を生んだ日本仏教の母山です。比叡山延暦寺は、天台宗の総本山のお寺です。

比叡山は、滋賀県と京都府の境にそびえ、山頂からは東に日本最大の湖・琵琶湖、西に古都・京都の市街地を望むことができます。残念ながら本日は台風一過のためか、もやがかかっており、はっきりと見えなかったのが残念です。
古代より神山として崇められており、伝教大師最澄が788年に延暦寺を創建しました。
以来、多くの名僧がここで修業して宗祖となり、比叡山は「仏教の総合大学」「日本仏教の母山」と呼ばれるようになりました。1994年、比叡山延暦寺は世界文化遺産に登録されました。杉木立に囲まれた閑静なお堂を巡りながら比叡山の悠久の歴史と豊かな自然を体感してきました。

 

伝教大師・最澄が開いた日本仏教の母山

日本仏教の聖地であり、ユネスコ世界文化遺産にも登録されている比叡山延暦寺。京都と滋賀にまたがる比叡山一帯を寺院とする日本有数の大寺院です。
延暦寺は、788年、伝教大師こと最澄が、現在の根本中堂の位置に小さいな寺院を建て、「一乗止観院」と名づけたことに始まる。延暦寺という寺名を与えられたのは、最澄の没後である。比叡山は日本の国を鎮め護る寺として朝廷から大きな期待をされたことから、桓武天皇時代の年号「延暦」を寺号に与えられた。そして比叡山にこもって修学修行をする教育制度が確立され、今でいう総合大学のような役割を果たしてきた。
日本仏教の要となる僧を何人も世に送り出した延暦寺は、鎌倉時代には3000もの寺院をもつ大寺院となると同時に武装化。白河法皇が「意のままにならぬもの」と詠うほどの一大勢力となる。そして1571年、織田信長の焼き討ちによって、全山の堂・塔・釈迦は灰に帰すこととなりました。信長の死後、豊臣秀吉や徳川家康、家光によって、堂・塔は再建されました。
延暦寺は現在、根本中堂のある「東塔」、第2世天台座主・円澄が開いた「西塔」、第3世天台座主・円仁上人が開いた「横川」の3つのエリアに分かれています。

学校の教科書で平安仏教の2大宗派といえば最澄の開いた天台宗と空海の開いた真言宗との記憶がある方は多いのではないでしょうか?


東塔(とうどう)地域

比叡山延暦寺の中心で、総本堂の根本中堂をはじめ、大講堂、法華総持院東塔など重要な堂塔が集まっています。
御朱印所は合計8つあり、それぞれ御朱印が異なっております。
A 根本中堂(薬師如来)
B 大講堂(大日如来)
C 文珠楼(文殊菩薩)…延暦寺会館にてお授け
D 大黒堂(三面大黒天)
E 正覚院(不動王明)
F 萬拝堂(千手観音)
G 阿弥陀堂(阿弥陀如来)
H 法華総持院東塔(大日如来)…阿弥陀堂にてお授け

伝教大師伝

東塔の拝観料金のゲートをくぐり、国宝殿を左に見ながら進むと右にカーブした緩やかな上り坂に差し掛かります。
その参道の左右に、伝教大師伝の絵看板や比叡山で学んだ法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、栄西(臨済宗)、道元(曹洞宗)、日蓮(日蓮宗)といったそれぞれの宗祖たちの絵看板も展示されています。
参拝する前に、伝教大師の生涯や各宗祖の御功績などの知識を蓄えてから参拝することも意味あるものだと思います。
現に大講堂には、各宗祖の肖像画があり、どのような功績を残してきたか思い起こせます。

伝教大師伝①ご誕生(一例)

 

大講堂

昭和39年(1964)に山麓坂本の讃仏堂を移築したものです。本尊は大日如来で、その左右には比叡山で修行した各宗派の宗祖の木像が祀られています。
また、外陣には釈迦を始めとして仏教・天台宗ゆかりの高僧の肖像画がかかっています。国重要文化財に指定されています。
各高僧には上人や聖人の称号があります。ともに「しょうにん」と呼びます。上人、聖人とは、仏教における高僧への敬称です。
今回は、大講堂での御朱印を授かりました。大日如来の御朱印となっています。

大講堂脇にある「鐘楼」(「開運の鐘」と呼ばれています)では1回、50円で鐘をつくことができます。

根本中堂

堂内には、最澄が灯したという「不滅の法灯」が、1200年を超えてなお、守り続けているという。また、本尊は最澄みずから刻んだとされる薬師如来。座って拝むと、本尊と目線が同じ高さになるようにつくられています。
外観の建築様式も観たかったのですが、平成28年から10年かけ大改修中で、拝見することができませんでした。
改修工事は、本堂の銅板葺き、廻廊のとち葺きを葺き直し、全体の塗装彩色の修理が主な内容です。しかし、工事期間中でも参拝ができました。工事期間中は、国宝・重文改修ならではの珍しい作業も行っている光景も目られるようですが、本日は工事はしていませんでした。普段目にすることのない貴重な光景を間近で見ることもできるようです。工事中の日に行けばよかったと思います。改修期間中は、根本中堂大改修についての動画が流れています。




文珠楼

文殊楼は高い石段を隔て根本中堂の東側にあります。延暦寺の山門にあたり、徒歩で本坂を登ってくると、まずこの門を潜ることになります。慈覚大師円仁が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って創建したものですが、寛文8年(1668)に焼け、その後建てられたのが現建築です。写真の左手入口から中に入ることができました。90度近くの階段を手すりを使って登っていきます。その名のとおり文殊菩薩が祀らわれています。

延暦寺文殊楼脇の「清海鎮大師 張保皐(ちょう ほこう、790年頃 – 846年?)碑」
延暦寺との関係は、第3天台座主慈覚大師円仁の求法の旅を支援したことがいきさつのようです。

延暦寺文殊楼脇を上っていくと南無天台大師像がありました。

大書院

根本中堂の東方にある。現在は迎賓館として使われていますが、残念ながら非公開で中に入ることはできませんでした。

大黒堂

伝教大師最澄が比叡山へ登った折、この地において大黒天を感見したところであり、日本の大黒天信仰の発祥の地と言われています。 本尊の大黒天は、「三面出世大黒天」と言われ、大黒天と毘沙門と弁財天が一体になった姿をしています。

大黒堂右手に「摩尼車(まにしゃ)」があります。
この車を回すと願い事がかなうと言われています。心静かにゆっくり回しましょう。

萬拝堂(まんぱいどう)

日本全国の神社仏閣の諸仏諸菩薩諸天善神を勧請し、合わせて世界に遍満する神々をも共に迎えて奉安して、日夜平和と人類の平安を祈願している平成の新堂です。堂内には、ご本尊千手観音様が祀られ、周りの大きな数珠を回しながら時計回りに進んで参拝します。

阿弥陀堂

昭和12年(1937)に建立された、檀信徒の先祖、故人を供養するお堂で、毎日回向法要が行なわれています。(先祖回向の道場)。本尊は丈六の阿弥陀如来です。

 



法華総持院東塔

昭和55年に阿弥陀堂の横に再興されました。伝教大師最澄は日本全国に6か所の宝塔を建て、日本を護る計画をされましたが、その中心の役割をするのがこの東塔になります。
本尊は大日如来をはじめとする五智如来が祀られており、塔の上層部には仏舎利と法華経が安置されています。

戒壇院

最澄構想による大乗戒壇授戒のために建立された建造物。戒壇とは、戒律を授ける(授戒)ための場所で、そのための施設が戒壇院。出家者は授戒を受けることで正式な僧として認められ、戒壇院は比叡山中で最も重要な堂の一つとされています。
内陣には、釈迦如来、文殊菩薩、弥勒菩薩が安置され、年に一度「授戒会」が行われているそうです。

西塔(さいとう)地域

壮大なたたずまいの東塔に対し、西塔は美しい杉木立の間から小鳥のさえずりが聞かれる静寂境。釈迦堂を中心に椿堂、にない堂などがあります。東塔から徒歩で行けます。

山王院

「西塔地域」の端の山王院にやって来ました。詳しくは法華鎮護山王院というそうです。千手観音を祀っており「千手堂」「千手院」という名でも知られています。

浄土院(伝教大師御廟)

伝教大師の御廟がある浄土院は、弘仁13年(822年)6月4日、56歳で入寂された大師の遺骸を、慈覚大師が仁寿4年(854年)7月ここに移して安置した場所です。 ちなみに「御廟」とは「廟(びょう)」のことを指します。 「廟」とは、死者の御霊を祀る場所のことです。

浄土院からにない堂までの山道両脇に各教区の石灯籠が整然と並べられています。

出身地の栃木教区もありました。

現住所の近畿教区です。

『五重照隅塔』の文字が刻まれた石標があります。

にない堂手前に親鸞聖人修行の地があります。

常行堂/法華堂(にない堂)

同じ形をしたお堂が廊下によって繋がっています。正面向かって左が、四種三昧のうち、常行三昧を修す阿弥陀如来を本尊とする常行堂、右が法華三昧を修す普賢菩薩を本尊とする法華堂です。弁慶が両堂をつなぐ廊下に肩を入れて担ったとの言い伝えから、にない堂とも呼ばれています。国重要文化財に指定されています。
本日は、『四種三昧修行中ですのでお静かに』というおことわり看板がたてられていました。

常行堂

法華堂

西塔政所

学問所のことです。

恵亮堂

恵亮和尚(800~859)を本尊として祀る。体楽大師と称し修力霊験に最も優れた和尚であり、京都の妙法院を創建した。

釈迦堂(転法輪堂)

西塔の本堂にあたるのが、この転法輪堂です。一般にはご本尊の釈迦如来にちなみ、釈迦堂の名で知られています。
現在の釈迦堂は、延暦寺に現存する建築中最古のもので、もとは滋賀県三井寺の園城寺の金堂でしたが、秀吉が文禄四年(1595年)に西塔に移築したものとなります。 国重要文化財に指定されています。

境内左手には釈迦伝の絵看板がありました。

法然上人ご修行地青龍寺の文字が刻まれた石標もありました。



まとめ

今回は、時間の都合上、横川地域に参拝することはできませんでした。
最後に、冒頭でも書きましたが、比叡山延暦寺は日本仏教の母山とも称され、法然上人、親鸞聖人、良忍上人、一遍上人、真盛上人、栄西禅師、道元禅師、日蓮聖人など日本仏教の各宗の祖師がここで学び、あるいはここで出家得度しています。
そのような歴史を感じ、心洗わされる思いをいだき、各お堂へ行っても、お線香を上げ、その煙で身を清め、参拝することができました。『邪念のない生活がおくれますように(合掌)』

比叡山には、車で比叡山ドライブウェイを通ってきましたが、比叡山ドライブウェイから見た琵琶湖をご覧ください。

また、比叡山ドライブウェイの登仙台駐車場(星野リゾートロテルド比叡近く)からは琵琶湖や京都が一望でき、通り過ぎてしまいそうになりますが、ぜひ立ち寄ってみてください。
絶景です。あいにく本日はかすんでいて、はっきりと見えませんでしたが。京都タワーや京都御所も見渡せます。


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