京都高瀬川沿いをぶらり!小説「高瀬舟」の舞台

スポンサーリンク
旅行・観光
久しぶりに京都へ行って来ました。(2019年6月9日(日))

京都は中学時代の修学旅行で初めて来てから、歴史や街並みも好きで約30年前に大阪へ転勤になってから何度も足を延ばして来ています。
 今回は、森鴎外の小説「高瀬舟」で知られている高瀬川沿いをぶらりしました。高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。
 阪急河原町駅で下車し、新京極商店街に入りました。新京極といえば修学旅行のとき、泊まったホテルが新京極商店街近くにあり、夜おみやげを買いにきた思い出があります。
  土産物店をはじめ飲食店、ファッションショップなど老若男女問わず楽しめる繁華街として市民や観光客に親しまれている商店街です。また近くには誓願寺、誠心院、西光寺、安養寺、錦天満宮などの由緒ある寺社仏閣が並んでいます。
  商店街を入ってすぐに「お香」の匂いがし、気持ちが落ち着きます。

 

 

 

商店街から脇に入ると新京極公園があります。

京都市は市内全域で屋外の公共の場所での路上喫煙が禁止されています。
新京極公園はタバコが吸える場所です。以前来たときは、ごみや空き缶が散らかっておりとても汚い印象を持ちましたが、きれいに片付けられていました。
常識ある行動を続けていきましょう。
 
 
 
 
錦天満宮に立ち寄りました。
平安時代前期の十世紀初頭、学問の神となられた菅原道真公(菅公)の生家『菅原院』に創建されたそうです。
知恵 / 学問 / 商才 / 招福 / 厄除け / 災難除け)
 
 
 
 

 
菅原道真を祀る神社でよくみられるのが「牛」。ご存知の方も多いですが牛は天神様の神の使いとされていますよね。これらの牛の像は「撫で牛」と呼ばれていて、牛の頭を撫でた後に自分の頭をなでると学力が向上する! と言われています。
さっそく試しました。学力が向上すればいいですね。
 
しばらく商店街を歩きます。
昭和の時代を思わせる店構えの「京極スタンド」をみると昔懐かしくなります。
本能寺が見えてきました。
本能寺と聞くと、「本能寺の変」を思い浮かべると思います。本能寺の変とは、天正1062日(1582621日)早朝、京都本能寺に滞在していた織田信長を家臣・明智光秀が謀反を起こして襲撃した事件であることは有名ですね。
ただ、現在の場所ではなかったのですね。天正19年(1591年)、豊臣秀吉の命で現在の寺域(中京区下本能寺前町)へと移転させられた。
 
 
御池通りに出ました。
京都市役所が真っ先に目に飛び込んできます。
ヨーロッパの伝統様式(ネオ・バロック的骨格)の特色を有する建物は、現在改修中でした。
 
 
 
 
 
 
 
修学旅行で宿泊した「ホテル本能寺会館」もリニューアルオープンに向け休業中でした。
 
 
 
 
 
 高瀬川
 京都は、内陸部に位置しているため、交通運輸の面で大きな隘路を抱えていた。これを打開するために開発されたのが、大量輸送を目的とした、伏見・二条間をつなぐ高瀬川水運であった。
 この交通大動脈の完成は、京都を大阪より直接水運で結ばせることになり、近世京都の経済発展を支える基となったのである。
 
 
 
河原町御池の交差点を渡り、木屋町通に来ると
高瀬川が見えてきました。
 
 
 
 
 
 
 
川の水がとても清らかでした。
(下まで透き通って見える)
高瀬川を二条方面に北上していきます。
 
 
 
 
 
 
佐久間象山・大村益次郎遭難之碑がありました。
佐久間象山は元治元年(1864年)に、それから五年後の明治二年(1869年)に大村益次郎がこの辺りで襲撃を受けて死に至っています。象山は、洋学・砲術を学び、開国論を唱え、勝海舟・坂本龍馬・吉田松陰ら多くの俊才を教育した。益次郎は西洋兵学を学び、兵学の第一人者となって幕末の長州軍を率い、また戊辰戦争の指揮に活躍した。
 
 
江戸期の荷を積んだ船が再現されている「一の舟入」が見えてきました
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高瀬川一之舩入
高瀬川の水運
高瀬川の水運

 

がんこ高瀬川二条苑」がありました。「がんこ」は居酒屋チェーンで、駅前など各地に店舗があるので利用される方も多いと思いますが、ここの「がんこ」は、ほかの店舗に比べ少し趣が違います。
 
 
 
 

  
その向かいにあるのが、「島津製作所 創業記念資料館」です。
中には入ってみました。
入館料は、大人:300円でした。
島津製作所は、仏具職人の二男に生まれた初代島津源蔵が京都・木屋町で理化学器械の製造を始めました。
 
 
パンフレットとチケット

パンフレットとチケット

島津製作所創業の地

 
 
館内には、創業以来、製造販売してきた理化学器械、医療用X線装置や産業機器をはじめ事業活動に関連する歴史的な文献・資料などが展示され、島津製作所の歩みがわかる7分くらいのビデオを見ました。
島津製作所と聞くと、ノーベル化学賞を受賞した田中畊一さんで知られていると思いますが、先代から受け継がれている理化学器械製作が有名なのも納得がいきますね。

庭もきれいに手入れされていました。

これより、元 来た道へ戻り、高瀬川沿いを五条方面に向けて歩いていきます。
高瀬川沿いにおしゃれなピザやがありました。川沿いで「川床」のイメージですね。
歩いていくと、いろいろな案内板が見つかります。
日本映画発祥の地
本間精一郎 避難地
本間精一郎って誰?
文久2年(1862)8月20日夜、勤王の志士・本間精一郎はここで襲われた。精一郎は越後の人。江戸に出て勉強し、安政大獄ののち京都にのぼって尊王攘夷運動に身を投じた人物。
※尊王攘夷派とは『天皇を中心に、外国人を排除した国作り』を思想とするもので、当時、幕府と対立をしていました。
めずらいい!醤油の自動販売機。700円で販売しています。
 
 



名前の愛称が同じだったので記念に撮ってみました。
どうでもいいですね!!











ここの喫茶店(ソワレ)は、午後一時から開店ですが、かなりのお客さんが行列を作って待ってました。
何が有名なのかな?

 人気メニューが、ソーダ水の中で赤、青、黄など美しい5色のゼリーがキラキラと輝くゼリーポンチらしい。扉を開けると広がるレトロな空間は、幻想的なブルーの照明や、壁に掛けられた東郷青児による作品が一層趣きを増している。そんな昭和の雰囲気を色濃く残した店内であると紹介されている。
 
 

四条通に出てきました。

あじさいは、まだ見ごろではないようですが、もうじき見ごろになると思います。

アジサイの季節にまた来よう!

やっと五条までたどり着き、JR京都駅まで歩くことにした。ちょうど2時前でお腹もすいてきたので、
京都駅付近のラーメン屋に立ち寄ることにしました。
本家第一旭たかばし本店は、2時近くになっていましたが、行列でした。

 

その隣の「新福菜館本店」に入りました。
新福菜館本店もそこそこ並んでいました。
1938年屋台から始まったそうです。
外観は屋台から始められたという事もあり、誰でも気軽に入店できる開放感と大衆さのある温かい佇まい。

中華そば(並)700円 を頼みました。
完全な「京都ブラック」でした。

内観はまさにパイプ椅子と中華料理屋らしさのある赤いテーブル。
漆黒のスープ!やはり黒い。
濃厚な醤油でこってりしているが、見た目ほどではなくあっさり感もある。
麺は中細麺ストレートでもちもちした食感でスープが良く絡む。具はシンプルにチャーシュー、ねぎ、もやしで屋台らしくいい意味で大雑把なのが良いかも!!
今回の散歩は終了。JR京都駅から帰途に就く。


%d人のブロガーが「いいね」をつけました。
タイトルとURLをコピーしました